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やぶからし
やぶからし
山本 周五郎
「週刊朝日増刊」朝日新聞社、1959(昭和34)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,476 字 · 44 页
三
――どうぞ来てくれませんように。
わたくしはそう祈った。行燈が暗くしてあり、明るくしなければいけないと思いながら、もう立つことはできなかった。酔っているのだろう、あの方のよろめく足音がし、襖の辷る音が聞えた。わたくしは痛いほど強く懐剣を握り緊め、歯をくいしばった。
あの方の寝間は、わたくしの部屋と中廊下を隔てて向きあっていた。廊下を踏む足音が聞え、わたくしの部屋の襖があいた。わたくしは心臓が喉へ突きあげてくるような苦しさにおそわれ、息が止った。あの方はあけた襖のあいだからこちらを眺め、それからゆっくりとはいって来た。
三
あの方は立ったまま、唇を曲げて、わたくしをつくづくと見まもった。蒼白い、仮面のような顔に、歪んだ嘲笑が、刻みつけられでもしたように動かず、血ばしった眼は、けものめいた光りを放っていた。獲物を覘うのではなく、敵を威嚇するけものの眼のように感じられた。
懐剣は袋に入れたままである。袋から出さなければ、と思ったけれど、わたくしは身動きもせずに、あの方の眼を放さずみつめていた。あの方はふらふらと前へ出た。
「おい」とあの方は顎をしゃくった、「おい、ごりっぱな、けだかい、おきれいな御婦人、但し、みかけだけだがね、わかるか」