轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
「もくせい」ごうのなぞ
中谷宇吉郎集 第六巻
中谷 宇吉郎
中谷宇吉郎『中谷宇吉郎集 第六巻』。同一底本的分册已合并为一书。收入:「もく星」号の謎、温泉2、海底の散歩、吉右衛門と神鳴、国際雪氷委員会のことなど、古代東洋への郷愁、身辺雑記、長岡と寺田、八戒に遭った話、亡び行く国土、牧野伸顕伯の思い出、湯川秀樹さんのこと、露伴先生と神仙道、私のふるさと、私の履歴書、ケリイさんのこと、コロラド通信。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 130,784 字 · 269 页
といわれたのだそうである。
この言葉は、死を覚悟するとか、従容として死に就くとかいうのとは、少し違うように、私には思われる。古来、老僧高士が死に臨んで少しも恐れず、立派な辞世の句だの偈だのを残して帰するが如くに逝った例は、非常に沢山ある。しかしその句や偈などが立派であればあるほど、そこに何となく生を意識しての死という感じが、頭のどこかに残った。しかし露伴先生の「じゃ、おれはもう死んじゃうよ」には、生を意識しての死というものが、全然感ぜられない。生死を超越するという言葉は、今までに何度も聞かされている言葉であるが、その意味を迂闊にしてつい最近まで知らなかった。というよりも考えてみたことがなかった。私は『父』を読んでこの言葉に出遭ったとき、思わずどきっとしたのはこの点である。
こういうことをいっても、何も古来傑出の士が、立派な辞世を残して従容として死についたのを二流とし、露伴の死だけを一流とするという意味ではない。生を意識してしかも死を怖れないのは、考えようによっては生死を超越することよりも、もっと傑いことかもしれない。しかし傑いというような言葉を使うこと自身が、既に生を意識しての世界に属する言葉である。