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かずえはいそがしい

主計は忙しい

山本 周五郎

「奇譚」1940(昭和15)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,315 字 · 37 页

青空文庫

主計は眼をあげて云った、「――荻江節を教える園次と申す者の家です、半年ほどまえよりかよっておりますが、これは唄を習うためで、そのほかにはなんの意味もございません」

「なんでまた唄などを習うのだ」

「御承知のとおり私はおちつきのない性質で、自分では努めて起居にゆとりを持とうと思うのですが、生得と申しましょうかなかなかそれが身に付きません、芸ごとは心をやしない気を寛くすると聞きましたので、柄にも合わず勘も悪くて、半年してもまだ一つの唄があがらないありさまですが、これも修業のひとつと思ってかよっているのでございます」

市郎左衛門はじっと主計を見まもった。愛している門人である、もちろん深く信じてもいた、その愛と信とが強かっただけに、却ってそんな中傷にも肚を立てるのだ。そのうえながい病弱で心も躯も衰えている、耐え性がなくなってもいたことが、いま主計の弁明と彼のまぎれのない眼を見てはっきりわかった。

「それにしてもいったいなに者が、かような物を先生にごらんに入れたのでしょうか」

「それは聞くな、わかればよいのだ」

「いやそれでは済みませぬ、ただごらんに入れただけならともかく、袂から落ちたなどと云い拵えるのは――」