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なつむしあんどん

夏虫行燈

吉川 英治

「婦人倶楽部 別冊付録」大日本雄弁会講談社、1938(昭和13)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,200 字 · 37 页

青空文庫

と、涙も見せず問い返した。――いや、平四郎の姿を見た途端に、涙とは反対な、むしろ抗争的な強い意志が、ぐっと胸に立ち直っていた。

平四郎は、薄ら笑いに、歯を見せて、

『これが不思議な宿縁でなくて何としよう。――海野甚三郎の介錯人は、かくいう平四郎に吩咐けられましたぞ』

『げッ……。あなたが……あの甚三郎様の御介錯を』

『お小夜どの。今、茅屋から取って来たこの備前長船は、自慢ではないが、すばらしく斬れますぞ。御安心なさるがよい』

『…………』

彼女の涙は、遂に、理性の堰を突き破った。肩をふるわせて、俯向くと共に、思わず地へ咽んでしまった。

けれどそれは、この期になって、甚三郎の死を悲しむ涙などではなかった。もっと強い、反抗的な、呪咀をこめた――口惜し涙であった。

『あなたは……平四郎様! ……あなたはよくも、そんな事を、私の前で仰っしゃられます』

『云われないで何うしましょう。海野甚三郎に対して、一寸の恩もなければ、友達の誼みもない』

『けれど……そうして御自慢なさる据物斬のお腕前は、一体、誰から教えられたのでございますか』

『……ム。それは貴女の父十太夫殿からだったなあ』