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なつむしあんどん
夏虫行燈
吉川 英治
「婦人倶楽部 別冊付録」大日本雄弁会講談社、1938(昭和13)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,200 字 · 37 页
三
と、平四郎の声の方が、顫えを帯びて、むしろ彼女よりは、女々しく聞えるほど甲走った。
三
『忘れもせぬ――』と、眼をふと塞いで、
『そうだ、其女が十六の春、お父上の十太夫殿も、家族もあらかた、花見に出て留守だった。其女は風邪の床に、瞼を腫らして寝ておった。――そこへ拙者も留守を頼まれて欣しい看護をしていた時、其女は、この平四郎に何というたか』
『その事は覚えていますが……そんな言葉は忘れました』
『忘れた?』
と、早口にたたみかけて、
『――では、その夏、荒川の堤へ、螢狩りに行って、あの帰るさ、闇路を戻りながらの言葉は』
『みんなして、笑いさざめきながら、冗談を云い合って帰りました』
『何! 冗談だと? ……。ウーム……冗談』
平四郎はもう、自分へ云って自分で答えるように呻いて、
『すると……其女がこれ程の言葉は皆、戯れ事であったというのか』
『もしも、何か貴方のお心に、恋として残るような言葉でも云ったことがあったでしょうか』
『――もうよい。アアそんなものか』
平四郎は、何か、悪夢から醒めたように、凝と、空し身になって星を仰いでいたが、
『小夜どの。……よく判っきり云ってくれた。