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なつむしあんどん

夏虫行燈

吉川 英治

「婦人倶楽部 別冊付録」大日本雄弁会講談社、1938(昭和13)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,200 字 · 37 页

青空文庫

『又。……今誇って仰っしゃった、備前長船も、誰から戴いた刀だと思し召すか。それも、父の十太夫が……私が幼い時、笛吹川で溺れる所を、助けて戴いたお礼にと――貴方へ贈った物ではございませぬか』

『それを、覚えておられたか』

『忘れて何といたしましょう』

『――ならば、生涯、口が腐っても云うまいと思ったが、平四郎も一言申すぞ』

『オオ、仰っしゃいませ!』

『……いや。……止そう』

と、平四郎は、感情の儘、こみ上げかけた声をふと落して、

『……大人げない。はははは』

相手が、冷ややかになると、彼女はむしろ赫として、

『卑怯な! 卑屈な! ……。その通り、何も仰っしゃれないではございませんか』

『云えないと思うか』

『ええ、私には、何も云われる覚えはございませんもの』

『じゃあ云うが――小夜どの、貴女はよくも、この平四郎を弄ったな』

『え……弄ったとは』

『まだ、甚三郎が長崎表から帰らぬうちの事……よう胸に手を当てて思い出してみるがよい』

『思い出す事? べつに、あなたとの間に、そんな、心にふかく刻まれた憶い出は何もございません』

『ないっ?』

『ええ……ありませぬ!』

『では……では何日か――』