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なつむしあんどん

夏虫行燈

吉川 英治

「婦人倶楽部 別冊付録」大日本雄弁会講談社、1938(昭和13)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,200 字 · 37 页

青空文庫

――誰か、即刻呼んで、申しつけますれば』

『いや、もう時刻がない』

市之丞は、大股に控え部屋を出、武器の櫓の下まで歩みかけた。

――と。そこへ慌しく、

『お待ち下さい。甚三郎の切腹、暫く、お待ち下さいっ』

息を喘いて馳けて来た与四郎兵衛が、切腹部屋の前まで出揃った人々を見て、手を振った。

『何で留めなさる』

一人が、強くたしなめた。

『いや、下手人が、分ったのでござる!』

与四郎兵衛の言葉は、絶叫するようだった。

『――われわれは、まんまと、その下手人に、騙かられたのじゃ。折角、御城内にいたものを、逸してしもうたのだ』

『――して、誰だ? 下手人とは』

市之丞は、眼を光らして、問い詰めた。

『されば高安平四郎と相分った』

『何、平四郎――が』

皆、意外な顔を見あわせて、

『然らば、紛失物を奪ったのは、平四郎の仕業と仰せあるか』

『甚三郎に、恨みがあって、彼奴が謀ったことだと申す』

『――誰の口からそれが知れましたか』

『今。御城門へ訴えて来た、萩井十太夫殿のお娘――小夜どのがそう申すのじゃ。しかも、その訴えによれば、平四郎自身が、小夜どのに、自己のやった復讐を誇って、そのまま逐電したとも云う。