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かれがころしたか

彼が殺したか

浜尾 四郎

「新青年」1929(昭和4)年1~2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 41,336 字 · 83 页

青空文庫

今から思えば、きざの極みだが、俺は当時「ヴェルテルの悲しみ」をレクラム版で求めて之を常に懐中して、ならいたての独逸語だから読める筈はないのに、時々開いては、ため息をついて居たものである。

おお当時のヴェルテルは、今やロッテを呪わずには居られないのだ。

或る夕、東京の或る町を歩きながら道子夫人は俺にこう云った事がある。

「私、一郎さんのような人ほんとにすきよ。ほんとにすきよ。あなたのような方の奥さんになる方、どんなに幸福でしょう」

ああおそい、何故早くそう云ってはくれなかったんだ、俺は愚かにも――然り千万遍も愚かにも――この言葉をこういう風に解し、こういうように心の中で叫んだものである。しかし、若い青年の心に、この不用意な、若くは極めて巧みに巧まれた、この言葉が、こうひびくのがどうしておかしかろう。

或る時は又こういう事もあった。

或る友人の家にブリッジをしに行った時、道子夫人も亦加わったが、夕方五時頃に彼女は、

「私もう帰るわ」

と云って席を立とうとした。

丁度其の時俺も帰る気になったので、俺はその友人に、僕も失礼するという事を云って、立上りかけた。