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わすれのこりのき
忘れ残りの記
吉川 英治
吉川英治『忘れ残りの記』。同一底本的分册已合并为一书。收入:忘れ残りの記、年譜。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 193,050 字 · 383 页
そこらはまだよかったが、やがて郷土史研究会を代表して、中野敬次郎氏が登壇された。そして高山樗牛からの小田原出身の文士をかぞえ、ぼくの事に及んで「じつは、この会に先だって、郷土史家たちの間で、吉川氏のご先祖に就て調べてみたのですが、どうも詳しい事がわかりません。ただ吉川氏の曾祖父、祖父ぐらいまで、お住いであったらしい土地とか、武鑑ではありませんが、大久保藩の藩士の職禄を書いたものには、お名前が見える程度であります。で、それに依りますと、吉川氏の祖父にあたられる吉川銀左衛門氏は、藩の徒士のひとりで、市内から早川の方へ寄った下河原にお住いで、一時、根府川関所番を勤められたこともあったようであります。そして、その禄高はですね」と、ここでちょっと中野氏は声に抑揚をつけ微笑したようにぼくの印象には残っている。「――つまりその記録によりますとですね、吉川銀左衛門氏は、当時、五石十人扶持をいただいておったという事でありまして……」まで来ると、聴衆がどっと爆笑してしまった。中野氏は壇上で絶句し、会館は笑いやまぬ笑いにいつまでも揺れた。というのは、とたんに聴衆の眼がぼくにそそがれ、ぼくも赤くなってテレ隠しにニヤニヤしていたので、おかしさが二重三重になり、市長以下の別席の椅子でもみな腹をかかえてしまったのであった。