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わがあいするしじんのでんき

我が愛する詩人の伝記

室生 犀星

北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页

青空文庫

その仕事のかたわらにこの杏夫人がいて、杏夫人は夜になると昼間よりも最っとふくれて見え、藤村はそれを他人に見とれる美しさで見とれていた。何て仕合せな老作家だろうという考えが、静子夫人にも絡んで見え、私はむか腹立てている人間の癖づいたむずかしい顔付で、殆ど睨みつけるように静子夫人を見ていた。余りたびたび眼を合わしていても、静子夫人は自分から挨拶に来てくれる人ではなかった。それだから一層私にはこの夫人が聡明で、美しくさえあった。それは私にしても一度は挨拶はしたかったのであるが、まだ年は若かったし、智恵や学問のある女の人を無理にも嫌いの範囲にいれていたから、彼女のそばには行かなかった。いまの私なら、どんなにらくに話ができたか判らない。

だが、この杏夫人はあっとおもう間に、いつも素早く宴席からすがたを消していた。私が剥きにくい果物の皮を剥いて、眼を下向けにしている僅かな時間のあいだに、殆ど、うしろ姿さえ見せないで彼女は去っていた。

藤村は置時計を見ながら外出先の女というものが、外出しているという確定の事実の前で、ことさらに妻というものの程遠い曖昧なしたしみを与えるものであることを、毎度ながら感じていた。