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わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页
あちこちの雑誌新聞に勿体ぶられ、彼自身もちからを容れて失うてはならない聡明を築いていたのである。詩人から小説家にかわるということは、並々の軽業師のわざではない、彼はこの軽業を慎重に一歩ずつ確かな足踏みで、綱渡りしたのである。詩人から小説家に早変りした最初の人だったのだ。危険とからかいを真向から受けて登場した彼は、小諸滞在中の散文『千曲川のスケッチ』を書き、三十三歳で『破戒』を物して、三十五歳でこれを出版した。私は三十歳で小説というものを初めて書いたが、藤村の小説の著作は遅れていたけれど、その重量感と、雑誌新聞にむかえられたまろうど振りは、到底、私ごときちんぴらの比ではなかった。聡明な小説家への転換は一挙にして成功したと見た方がよい、このむずかしい変り方は当時小説家という者の、七、八人くらいの寥々の世界にあっては、今日から見ると押して出るにはかんたんではあったが、それらに変ろうとする藤村の眼の利き方は容易でない利き方で、かがやく野心と自負があった。いまもそうだが詩人はどんなに立派な詩を書いていても、なかなか衣食には通じない、その経済的な見地からも彼が詩から去って小説を書きはじめたことは、りこうな人間の踏み方をちゃんと知っていたのである。