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わがあいするしじんのでんき

我が愛する詩人の伝記

室生 犀星

北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页

青空文庫

そこのボーイは辰雄を見なれると、階下から二階までいつもおんぶして登って可愛がり、辰雄も牛肉とボーイとを半々に好きになるようになっていた。

十歳くらいになると、お母さんは辰雄のことをうちの殿様と言って、父親につけない日の刺身のご馳走を辰雄のお膳につけていた。夜、床にはいると辰雄の枕上を歩かないで避け、裾廻りをとおるようにし、出世前の子供の枕上は歩かないものだと、お母さんは皆に言った。たとえば菓子くだもの類を貰うと、第一番に辰雄に、おまえ、お食べかいと聴いてから家の者に、頒けていた。

父の寿則は町内の顔ききでもあり、仕事の羽振りも宜かったので、料理店の出入りから芸者の温習会などにも、肝煎役だった。その芸者の踊りのつなぎに、十歳の堀辰雄はハチマキをし襷をかけた勇ましい姿で、「ベンセイ・粛々夜河ヲワタル」の剣舞を舞った。美少年の剣舞はいつも好評であった。

当時剣舞は男の子のたしなみであり、酒席に子供を舞わしめることは下町の一風俗でもあったのである。それもその筈、恥かしがりやの辰雄はそんな日のために、一年も剣舞師のもとに通うてベンセイ・粛々の剣舞を習っていたのだ。