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おうぎの

扇野

山本 周五郎

「面白倶楽部」大日本雄辯會講談社、1954(昭和29)年5月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 33,727 字 · 67 页

青空文庫

その下絵が仕上るまでは、仕事場へは誰も入らないことになっていた。庭には高野槇の生垣で仕切がしてあり、その木戸にも掛金が掛けたままになっているが、石川孝之介はその掛金を外して、勝手に入って来たのであった。

庭は芝生であるし、孝之介は草履をはいているので、彼が広縁の近くへ来るまで、栄三郎はまったく気がつかなかった。孝之介は広縁のそばへ来て、そこに立って暫く眺めていた。その(まばたきをしない)大きな眼で、栄三郎の手もとをじっと眺めていて、やがて軽く咳をした。栄三郎はとびあがりそうになった。そこへ誰か来ようなどとは考えもしなかったし、熱中し緊張しすぎていたので、それが石川孝之介であり、無断で入って来たのだと知ると、怒りのために躯がふるえるようであった。

二人はお互いの眼を見合った。

「驚かしたようだな」

やがて孝之介が云った。

「驚かすつもりはなかったんだ、しかし本当に驚かされたのは私のほうなんだがね」

「失礼ですが困りますね」

「わかっている、話が済めばすぐに帰るよ」と孝之介は云った、「二人だけで話したいことがあるんだ、ごく簡単なことなんだが、角屋には聞かせたくないんでね」