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おうぎの
扇野
山本 周五郎
「面白倶楽部」大日本雄辯會講談社、1954(昭和29)年5月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 33,727 字 · 67 页
栄三郎は筆を下に置き、手の甲で額の汗を拭いた。孝之介は扇子で胸もとを煽ぎながら、皮肉なうす笑いをうかべて栄三郎を見た。
「このあいだは樋の山で派手な一と幕があったそうだな」
「それが要談ですか」
「それだけが要談ではないが、関係がなくもないんだ」孝之介はゆっくりと云った、「あの女はこの土地いちばんの売れっ妓だが、それを二度か三度逢っただけで、さっそく人眼のない山の上へ伴れ出すというのは、いい腕だ、おまけに侍二人が抜刀してかかるのを、きれいに叩き伏せるに到ってはね」
「あの二人は泥酔していましたよ」
「しかし侍には相違ないんだ」
「前後もわからないほど泥酔していました」と栄三郎は云った、「また、あの人たちのためにも断わっておきますが、私はなにもしたわけではない、あの二人は自分で転んだのです、酔いすぎていて満足に刀を振上げることもできなかった、一人が自分の力に負けて転ぶと、他の一人がそれに蹴つまずいて転んだ、それだけのことだったんです」
「そう云えば、かれらの弁護になるとでも思うのかね」
孝之介は面白そうに喉で笑った。まっ白で丈夫そうな歯をみせ、いかにも興ありげな笑いかたで笑った。