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おうぎの

扇野

山本 周五郎

「面白倶楽部」大日本雄辯會講談社、1954(昭和29)年5月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 33,727 字 · 67 页

青空文庫

「なぜそんなこと仰しゃるの」

「石川孝之介のためじゃないかというんだ」

「嫌いよあんな人」とおつるは首を振った、「あんな人の世話になんか誰がなるもんですか、そうじゃないの、本当にいまのうちに別れたほうがいいと思うのよ」

「別れるなんておかしいじゃないか、何年も逢い続けて、深い仲にでもなっているのならべつだが、私とおつるはまだ」

「いいえ、あたしたち逢い続けたのよ、何年も何十年も」おつるは彼の胸に顔を押しつけたまま云った、「ずっとずっと昔から逢い続けていたのよ、そうでなくって、初めからこんな気持になる筈がないわ」

ああ、と栄三郎は心の中で呟いた。おつるもやっぱりそうだったのか、――彼はおつるの肩を抱き緊め、頷いて「そうだ」と囁いた。

「そうだ、おつるの云うとおりだ、これっきり逢うのはよそう」

「その代りこれからお宿まで送らせて、ね」とおつるは顔をあげた、「上へあがらずに帰るから、いいでしょ」

「それはだめだ、山の上だし、ひどい坂を登るんだ」

「いやいや、あたしいきます、いけないって仰しゃったってついてゆくからいい」

そしてすぐに身をひるがえして歩きだした。

我儘な性分なのか、酔っているのか、それともなにか感情を隠すためか、その夜のおつるの態度は桁外れに衝動的で、栄三郎には扱いかねるようであったが、その言葉や動作には、おつる