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しんしょたいこうき

新書太閤記

吉川 英治

08 第八分冊

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 192,758 字 · 383 页

青空文庫

「…………」

凝視するのみで、秀吉は何もいわなかった。ただ無量な感慨につつまれている姿であった。

この折、秀吉が床几を立って、

(主君信長を討った酬いを思い知ったか)

と、光秀の首級を杖で打ったなどということが、「豊鑑」には書いてあるが、嗤うべき筆者の臆測というしかない。

同じ臆測をするならば、秀吉が振り上げた杖は、むしろ首級の傍らにしたり顔して控えていた訴人の男に振り下ろされたろうと考えたほうが、まだ遥かに秀吉の心事に近い。

光秀の首を土中から掘り起してこれへ持って来た訴人というのは、年頃三十がらみ、風体から見ても、酒焦けのした、面構えもどことなく悪ずれている男だった。

当人の申したてでは、小栗栖村の百姓長兵衛と称えているが、元々百姓の家に生れ、農村の事に通じている秀吉には、ひと目見て、

(これは良農ではない。どこの村にもいる駄農というやつだ。かかる者に恩賞を与えて、郷土に誇らしめるのはおもしろくない)

と考えたことであろう。

事実、この長兵衛という男は、醍醐辺の百姓とも、小栗栖の庄屋の息子だとも、諸書に種々伝えられているが、いずれにしても真面目な農でないことは確からしい。