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にほんせいしんしけんきゅう
日本精神史研究
和辻 哲郎
推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页
のごとき歌である。ここには鳥の音、散る花などの印象が、単に暦の知識という以上に複雑な連想によって、屈曲されつつ現わされている。まず第一の歌は、「春が来てもまだ花が咲かぬ、春が早く来過ぎたのか、花が遅れたのか、鶯が鳴けばそれをきめることができるであろうが、鶯さえも鳴かない」という詠嘆であって、「春が来たとはいうが、鶯が鳴かぬ限りそういう気持ちにはなれぬ」とか、「谷から鳴き出てくる鶯の声がなくば誰も春には気づくまい」とかいう意味の歌とともに、鶯の鳴く音の歓ばしい感じを根本の動機としていることは疑いがない。しかしこれらの歌人は、その感じに深く浸り入ろうとはしないで、むしろそれを内容の確定した概念のごとくに取り扱い、「春」という概念との結合関係のうちに主たる関心を持っているように見える。従って鶯の声の内に春を感ずるというよりも、鶯において春を考えるのである。この傾向が第二の歌に至ってさらに明白になる。「木々を伝う鶯が己が羽風によって花を散らしている、その花の散るのを誰か他の者の所為でもあるかのように、しきりに鳴く!」鶯は花の散るのを悲しんで鳴くのである。