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にほんせいしんしけんきゅう

日本精神史研究

和辻 哲郎

推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页

青空文庫

、「修法は」、「法華経は」のみである。これらは、伝宸翰本ではいかにも自然な場所に所を得ているのであるが、春曙抄本ではかなり唐突な場所に孤立して存する。作者の製作心理から考えても、また錯簡の可能性から考えても、この三者ばかりは説明のしようがない。

「何々のもの」という項目のうちにも、異種の描写の間に挿まっていながらそれだけでは一枚と認め難い字数のものがある。「ことごとなるもの」(六十字)、「あてなるもの」(約百字)、「物のあはれ知らせがほなるもの」(三十六字)、「はるかなるもの」(約百字)、「たゞすぎにすぐるもの及びこと人にしられぬもの」(約五十字)、「たふときもの」(二十字)の六個所である。このうち第二と第四とは書きようによっては一枚とならぬでもないが、第一と第五とは写本がすり切れて半枚ずつに離れた紙があったと見なければ説明がつかず、第三と第七とはいかにしても紙の置きかえから来たと考えられぬ。

これらの反証に対してしいて説明を求むれば、一つには、順序の錯乱した耄及愚翁本を転写した人が、転写の際の誤脱を転写の進行中に気づいて彼自身の適当と思う個所へ挿入したと考えることができる。