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にほんせいしんしけんきゅう

日本精神史研究

和辻 哲郎

推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页

青空文庫

)。二人がいもうと、せうとと呼び合ったことは、少なくとも則光の言葉には明らかである。しかし則光は彼女をほとんど崇拝し、彼女の名誉を「己が立身出世よりも嬉しく」感ずるのである。また彼女との応対に現われた彼の態度は、弟のそれであって兄のではない。そうして彼のみは、他の友人たちよりも一層親しい。彼女が里に出ていた時、「夜も昼も」訪ねくる殿上人をうるさがって、住所を隠したことがあった。その時も則光のみは自由に訪ねて来る。そうして斉信に彼女の住所を責め問われて、ついには彼女のいない所をやたらに連れて歩くというようなことさえもする。それほどに苦心して彼女のわがままを立てるのである。しかし彼女の側では、則光をほとんど子供のように取り扱い、時には意地悪く翻弄さえもする。こういう仲で「かたみに後見、語らふ」とはどんなことであったか。「契り」とは何であったか。則光が常々言うには、「私を思ってくれる人は歌などを詠んでよこしてはいけない。そんなことをすれば仇敵だと思う。絶交しようと思う時にそうするがよい」。これは彼女の才能を崇拝する人の言葉としては己れの才なきを自任した「甘え」