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にほんせいしんしけんきゅう
日本精神史研究
和辻 哲郎
推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页
言葉の上ではつながりがあるように見える。しかし高麗人の名づけたのは幼児光君である。それに反して光源氏は有名な好色人である。のみならず右の一句は、唐突に桐壺の巻末に付加せられたものであって、前文と何の脈絡もない。また、少し前に書かれた「……譬へむ方なく、美しげなるを、世の人光君と聞ゆ」という言葉にも矛盾する。確かにこの一句は最も浮動的なものとして厳密な批評を受くべきものである。が、この一句を削り去ってみても、なお桐壺の巻と帚木の巻との間には、必然の脈絡が認められない。桐壺の巻末に描かれるのは、妻と定められた葵の上をきらって一途に継母を恋い慕う十二歳の源氏である。彼は葵の上のために建てられた新邸をながめて、「かかる所に思ふやうならむ人をすゑて住まばや」と嘆く。この描写に呼び起こされて帚木の発端の語が出て来たとは何人も信じ得ないであろう。帚木の発端は、後に来る物語を呼び起こすべき強い力を持っているが、それに先行する何の描写をも必要とするものでない。かくて我々は、帚木が書かれた時に桐壺の巻がまだ存在しなかったことを推定しなければならぬ。
そこで我々は、この発端の第一語として現われる「光源氏」