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にほんせいしんしけんきゅう
日本精神史研究
和辻 哲郎
推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页
この時民衆の苦悩を救うべく現われた宗教家には、栄西の徒のほかにも源空の一派があった。その道が著しく相違するにかかわらず、両者はともに真実の宗教であるゆえをもって民心にある力を与えた。が、この現象は、すでに宗教としての活力を失った古い教権にとっては、最も大なる脅威でなくてはならぬ。かくて山門の衆徒は栄西を訴え、公家階級もそれに同じて達磨宗停止の令を発した。南都の衆徒は源空を法敵として立ち、公家階級もまた「念仏宗の法師原」を狂僧と認めて、源空の上足を斬り、その徒を獄に投じ、源空らを流罪に処した。が、衰微し行く教権や公家階級の力は、真に動きつつある新興の力をいかんともすることができなかった。僧衆の食物にさえも事欠いた建仁寺にはすでに年少の道元がおり、源空の墓を山門の衆徒にあばかれた念仏宗にはすでに親鸞が熟しつつあった。
栄西が死んだのは道元十六歳の時である。道元は真実の道心のゆえに山門を辞して諸方を訪い、ついに栄西によって法器とされた。が、右にあげた栄西言行の二、三は、道元の実見であるかあるいは伝聞であるか、明らかでない。ただこれらの栄西の言行が道元の心に深い印象を残し、後年の彼によって意味深く語られるところに、我々は栄西の道元に与えた真の感化を看取することができる。