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にほんせいしんしけんきゅう
日本精神史研究
和辻 哲郎
推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页
糜爛せる官能受用のために、至るところに「心」は荒らされ傷つけられている。この欲からの離脱もまた彼の真理の王国の必須な条件であった。しかも建仁寺は官能の香気を喜んでいたのである。
もし彼にして断然たる改革をなし得たならば、彼はこの寺に留まったであろう。しかし彼は留まらなかった。三十歳に充たない彼の言動は、恐らくこの世俗化しつつある栄西の寺院をいかんともすることができなかったのであろう。のみならず栄西は、天台真言と妥協して、純粋な禅の伝統を立てていなかった。坐禅すらも建仁寺においては正式に行なわれなかった。坐禅を無上の修行法とする道元は、勢い自らの道を独立に拓かなくてはならなかったのである。
三十歳のとき道元は、洛南深草の安養院という廃院に移った。この廃院において彼の真理王国建設の努力は始まるのである。
が、この努力の開始は、異常なる社会的不安と同時であった。彼の帰朝の年に諸国に現われた農作凶荒の兆は、彼が廃院に移った翌年に至って、ついに恐るべき現実となったのである。盛夏のころに寒気が迫って人は皆綿衣を重ねた。美濃と武蔵のある個所には雪さえも降った。