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にほんせいしんしけんきゅう

日本精神史研究

和辻 哲郎

推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页

青空文庫

二

の内にも随処に見いだされる。『日本霊異記』は史料としての価値の乏しいものではあろうが、仮構談として見ても、当時の民衆に仏像の美に対する感受力のあったことを証するに足るものである。

上代人は仏教美術において「自己の表現せられたこと」を感じた。それだけで仏教美術が当時の国民の実生活から遊離したものでなかったことは明らかである。しかしなお一歩を進めて、創作の側からも、当時の仏教美術が時代の心生活と関係あることを証したい。「推古時代より天平時代に至る仏教美術の様式の変化は、日本人の心生活の変遷と平行する。仏像の多くは国民の信仰や趣味の表現である。型は外から持って来られたが、それに盛られたものは国民の願望であり心情であった。それはシナ芸術の標本ではなくて我々の祖先の芸術である。」

自分はこの証明のために、比較的多く固有の日本人を示すとせられる『万葉』の短歌を、古代の仏像に対照してみようと思う。

二

論を進める前に、自分は右に言った「日本人」あるいは「国民」の意義を反省しておかなくてはならぬ。上代の高い文化は貴族社会のものであって、国民一般のものではなかった、ということが、同じく津田氏によって極端に力説せられている。