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にほんせいしんしけんきゅう
日本精神史研究
和辻 哲郎
推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页
ことに薬師崇拝、観音崇拝のごとき単純な帰依は、特殊の教養なき民衆の心にも、きわめて入りやすいものである。従って造形美術の美が、その美的法悦によって帰依の心を刺激したろうことも、当然と認めてよい。津田氏は「仏像を礼拝するのは、単に信者の信仰からいうと、木や石を崇拝するのと何等の差異のないもので、それがいかなる形であろうとも無関係である」と言っているが、もしそうであるとすれば、『霊異記』などに現われている「仏像への愛着」はどう解していいか。いかに素朴な心的状態にあるものも、人の姿を具え親しみやすい感情を現わした仏像と、単なる象徴に過ぎない木や石とを同視するわけはない。美の感受は知識的な理解と無関係にも存在し得るのである。仏教の教理を理解したものでなければ仏像の美を感じ得ないと考えるごときは、美的受用の何たるかを解しない見方である。
もとより一般民衆が芸術と関係したということは、国民のことごとくが芸術を理解したという意味ではない。そんなことはどの時代にもあり得ない。ただ芸術を解し得る気稟を持つものは、たとい農夫といえども、それを受用する機会を持った、というまでである。