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にほんせいしんしけんきゅう
日本精神史研究
和辻 哲郎
推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月
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『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について
の歌とがともに同一の精神生活の表現であり、従って当時の仏教美術が単なる模造品複製品のごときものでないという事は幾分明らかになると思う。
最後に一言断わっておきたいのは、仏教美術なるものが当時の人々にとっては礼拝の対象だったことである。彼らは事実上には仏像に対して美的受用の態度にあった。しかし彼ら自らはそれを美的受用とは解しなかった。それに反して花鳥風月のごとき自然の美に対しては彼らのとる態度が美的受用である事を自ら意識していた。従って歌は彼らにとっても芸術であった。この区別を閑却してはならない。寺塔や仏像の芸術的な美しさを彼らが歌わなかったのは、この区別が彼らの心を縛っていたからであろう。宗教的情緒の領域と叙情詩の領域とが截然区別されるということは別に不思議なことではない。
(大正九年、一月)
『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について
『万葉集』と『古今集』との歌風の相違についてはすでに十分に説かれていることと思う。ここにはその相違を通じて現われた心の相違を問題にする。それを追究して行けば、何ゆえに『万葉』の時代が純粋に叙情詩の時代であり、何ゆえに古今の時代が物語文芸への過渡の時代であるかという問題も解き得られるであろう。