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つぶてしんじゅう
礫心中
野村 胡堂
「富士」1935(昭和10)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,190 字 · 28 页
越前守に毒を盛る者
「よく判りました、御前様」
「わかってくれるか、予の苦衷がのう」
「悪いのは越前の野郎一人」
江戸っ子のお豊は心機一転すると、もう甲斐守を怨む心などは微塵もありません。
「これ、声が高い、――が、一日置けば、一日の害毒、――ああ、私がもう少し若かったら、潰してならぬ家名を持たぬ身分であったら……」
鳥居甲斐は幾度も幾度も長大息しました。
「御前、――私ではお役に立ちませんか、私には潰してならぬ家名も、母親も、妹もございません」
「この御政治向さえ変れば、長い間入牢して居る、その方の父が助かる見込みもあろう」
「鳥居の御前様、どうぞ私に」
お豊の美しい顔が、激情に輝やきます。
「待て――」
甲斐守は、起上って唐紙を開け放すと、元の座に帰って来ました。さすがに頬も硬張って、暫らくは荒い息を鎮めて居ります。
深沈として更け行く向島の春の夜。
それは天保十四年三月、お藤が死んでから丁度一年の後のことでした。
越前守に毒を盛る者
西丸下、水野越前守の屋敷に、此程から新参の腰元が一人増えました。
天下の老中の屋敷に腰元一人増えたところで、何んの問題もないわけですが、越前守は衆に先んじて、改革の趣意を徹底させる勇猛心で、表高六万石、実収十五万石という堂々たる大名であり乍ら、その生活は二三千石の旗本にも及ばぬ質素なものだったのです。