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しほんたいへいき
私本太平記
吉川 英治
03 みなかみ帖
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,598 字 · 254 页
彼も全身をそそけ立てた。突然、土倉の近くを、駈け乱れる跫音がしたのだ。おもわず、外へ、
「豊麻呂」
二度ほど呼んだが、その時、豊麻呂の答えもなかった。
「ついに来たか」
彼の手は、ふところの毒薬の一包を、無意識に触れていた。
たとえ、幕吏がこれへ踏み込んで来ても、生ける俊基を捕えることはできないのだ。彼らは毒を嚥んだ死骸を見て茫然とするだけだろう。――俊基は、その光景を思いながら、しいて心に嘲笑をたたえた。しかしまた、咄嗟には、秘勅の書を、どう処理するかに、はたと迷った。
「ここには、灯もない。灰とすべき火もなくては?」
とたんに、がらっと、土倉の扉があいた。
外の赤い闇を後ろに、数名の影がそこに見えた。太刀の柄へかかッた俊基の右手は、盲目的にそれへ向って、抜き打ちを加えようとした。
「私ですっ」
跳び退いた一人がさけんだ。
「――弁ノ殿、菊王でございまする」
「やっ、戻ったか」
「仔細あって、遅くなりました。おゆるし下さいませ」
「して、頼春は」
「残念ですが、頼春どのは、たッた今、捕われました。わざと、弁ノ殿に似せて、みずから捕われて行ったのでございまする」