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ちくはくき

竹柏記

山本 周五郎

「労働文化」労働文化社、1951(昭和26)年10月~1952(昭和27)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 45,798 字 · 91 页

青空文庫

お聞かせ下さいませんの」

「もういちど云うが」

できるだけ穏やかに、妻の顔を見ながら、孝之助が云った。

「岡村とわれわれとは、もうなんの関わりもない、彼がお咎めを受けたことは、気の毒に思うけれども、私は詳しい事情を知らないし、知っていたにしても、おまえに話す必要はないと思う」

「わたくしが望んでもでございますか」

「誰が望んでもだ」彼は静かに、しかしきっぱりと云った、「――私たちのあいだでは、決して岡村の名を呼ばないように、これだけはよく覚えていて貰いたい」

結婚して以来、初めての、屹とした云い方だった。杉乃は怒りの眼で彼を見、膝の上で両手を握りしめた、彼は静かに立ってそこを出た。

祝言の夜のときよりも、孝之助の心は深く傷ついた。妻は彼を愛そうとしない、これまで夫婦のかたらいなどもあまりに冷たく、殆んど石に対するようなものであった。それは或る点まで承知のうえだし、時間をかける覚悟はできていた。けれども、その晩の態度では、単に彼を愛さないばかりでなく、まだ岡村を忘れないでいるらしい。

――貴方の想像どおりになった、さぞ愉快であろう。

そういう意味を含めた言葉と、あの眼と、その刺すような調子とは、明らかに岡村八束の側に立ったものである。