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むし
虫
江戸川 乱歩
一~四「改造 第十一卷第六號 六月號」改造社、1929(昭和4)年6月1日<br>五~十二「改造 第十一卷第七號 七月號」改造社、1929(昭和4)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 44,053 字 · 86 页
併し、それは烈しい驚きではあっても、決して悔恨ではなかった。世の常ならぬ愛慾の鬼奴が、彼を清玄の様に、執拗な恥しらずにしてしまった。
彼は不様な格好で、這いつくばい、壁に鼻の頭をすりつけて、辛棒強く、小さな穴を覗き込むのだが、その向う側には、凡そ奇怪で絢爛な、地獄の覗き絵がくりひろげられていた。毒々しい五色のもやが、目もあやに、もつれ合った。ある時は、芙蓉のうなじが、眼界一杯に、つややかな白壁の様に拡がって、ドキンドキンと脈をうった。ある時は、彼女の柔かい足の裏が真正面に穴を塞いで、老人の顔に見えるそこの皺が、異様な笑いを笑ったりした。だが、それらのあらゆる幻惑の中で、柾木愛造を最も引きつけるものは、不思議なことに、彼女のふくらはぎに、一寸ばかり、どす黒い血をにじませた、掻き傷の痕であった。それはひょっとしたら、池内の爪がつけたものだったかも知れぬけれど、彼の目の前に異様に拡大されて蠢いていた、まぶしい程つややかな、薄桃色のふくらはぎと、その表面を無残にもかき裂いた、生々しい傷痕の醜くさとが、怪しくも美しい対照を為して、彼の眼底に焼きついたのであった。