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むし

虫

江戸川 乱歩

一~四「改造 第十一卷第六號 六月號」改造社、1929(昭和4)年6月1日<br>五~十二「改造 第十一卷第七號 七月號」改造社、1929(昭和4)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 44,053 字 · 86 页

青空文庫

今か今かと、ある事の起るのを待構えていた。

すると間もなく、案の定まぶしい燈光をさける為に、半年以前、柾木と同乗した時と同じ様に、芙蓉が客席の四方の窓のシェードを、一つ一つ卸して行くのが見えた。(当時の箱型フォードは凡て、客席と運転手台との間に、ガラス戸の隔てが出来ていた)彼が自動車を買入れた時、態々シェードを取りつけさせた理由は、これであった。柾木は、胸の中で小さな動物が、滅茶苦茶にあばれ廻っている様に感じた。一里も走りつづけた程喉が乾いて、舌が木の様にこわばってしまった。だが、彼は断末魔の苦しみで、それを堪えながら、なおも走らせるのであった。

賑かな大通りの中程へ進んだころ、前方から気違いめいた音楽が聞えて来た。それはその町のとある空地に、大テントを張って興業していた、娘曲馬団の客寄せ楽隊で、旧式な田舎音楽が、蛮声を張り上げて、かっぽれの曲を、滅多無性に吹き鳴らしているのであった。曲馬団の前は、黒山の人だかりが、人道を埋め、車道は雷の様な音を立てて行交う電車や、自動車、自転車で、急流を為し、耳を聾する音楽と、目をくらます雑踏が、その辺一帯の通行者から、あらゆる注意力を奪ってしまったかに見えた。