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ゆきのうえのしも
雪の上の霜
山本 周五郎
「面白倶楽部」光文社、1952(昭和27)年3月~4月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 25,586 字 · 50 页
彼女はことば少なであった。しかし身ごなしや表情が、口かずの少ないのを充分に補った。朝早く、彼女は伊兵衛を起こしに来る。洗面をさせ、着替えを助け、朝食の給仕に坐る。
「もう結構です、自分でやります」彼は番たびそう云うのであった、「どうか構わないで下さい、自分でするほうが勝手ですから」
しかし千草は微笑するだけである。稽古ちゅう、ちょっと汗を拭きに出ると、もう井戸端でちゃんと待っている。午と夕食はたいてい青岳といっしょに喰べるから、むろん千草の給仕だし、寝間の支度も、寝るときの着替えも、すべて彼女の手を離れることがなかった。
――これは困った、じつに困った。
なんとも当惑したが、しかし迷惑というのではなかった。慥かに、ときどき(千草の匂やかな躰臭を身近に感じて)ふと滝沢の宿を想い、妻のおたよに済まないような気持になることがある。それはおそらく、隠れた意識でなにかしら良心が咎めるのだろうが、自分ではそうとは気がつかない。男女関係の微妙な点については、伊兵衛は子供のように単純であり、無知であった。
道場の休みは月二回、五日と二十日であった。
彼はその翌月の五日、十七日ぶりで滝沢へ帰った。