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ゆきやなぎ
雪柳
泉 鏡花
「中央公論 第五十二年第十三號」1937(昭和12)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 45,054 字 · 90 页
既に「おじさま。」と聞いた時、もう私は居たたまらなくなったのです。
発菩提心!……向合った欄干の硝子の船に乗った美女の中には、当世に仕立てたらば、そのお冬さんに似たのがたしかに。ああ発菩提心!……額の下へ、もそもそ不手際に、件の紅白水引を、端づくろいに、ぴんと反らして差置いて、すぐに座を開くと、
「まあ、おじさま。」
いかにも案外と、本意ない様子で、近所へ療治を頼まれて行っている、いまにも帰るでしょう。姨がという。尼刀自の事です。お顔を見たら、どんなに喜ぶか知れません。女中も迎いに出しました。ちょっと様子を、と襖を抜けるように、白足袋で、裾を紅入に二階を下りた。
間数もなさそうですが、居馴染まない場所は、東西、見当が分らない。十番はどっちへあたるか、二の橋の方は、と思うと、すぐ前を通るらしい豆府屋の声も間遠に聞え、窓の障子に、日が映すともなく、翳るともなく、漠として、妙に内外が寂然する。ジインと鉄瓶の湯の沸く音がどこか下の方に静に聞え、ざぶんと下屋の縁側らしい処で、手水鉢の水をかえす音が聞える。いい年増、もう三十七八になろうかしら、お冬さんが寝床を起きて出たのではないか、こんな時、厠のあたりに、けはいがするというものは、何だか、人影が幻に立つような気がするものです。