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ちくしょうだに

ちくしょう谷

山本 周五郎

「別冊文藝春秋」1959(昭和34)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,788 字 · 138 页

青空文庫

これはかけはしどころではないぞ、隼人は思った。――駆け戻って来た若い足軽が、火事は倉ですと告げたとき、岩と岩のあいだに、火の粉が美しく舞いあがるのが見えた。

「綱を掛けて引き倒したのです」と若い足軽はそれを指さして云った、「長屋や役所へ火が移りそうなので、綱を掛けて引き倒すところでした」

隼人は黙ってさらに足を早めた。

木戸のまわりには、村の住民たちが六七人、柵につかまって見物してい、その中から正内老人が出て来た。住民が柵の中へはいることは禁じられている。隼人は手まねで「どうぞ」という意味を示したが、老人には構わず、大股に倉のほうへいった。――そこはまだ濃密な煙に包まれてい、倒れた倉の残骸を、橙色のが舐めていたし、穀物の焦げる香ばしい匂いが、咽せるほど強く漂っていた。――隼人の姿を認めたのだろう、乾藤吉郎が走って来た。役所の羽目板へ水をかけていたらしく、片手に手桶を持ったまま、頭からぐしょ濡れになっていた。彼のあとから、西沢半四郎も走って来、乾より先に「申し訳ありません」と頭を垂れた。

「どうしたのだ」隼人は穏やかな声で西沢に訊いた、「倉には火のけがないのに、どこから出たんだ」