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ちくしょうだに

ちくしょう谷

山本 周五郎

「別冊文藝春秋」1959(昭和34)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,788 字 · 138 页

青空文庫

「それは済んだことです」

「お願いです、どうか一と言だけ聞いて下さい」

「いや」と隼人は穏やかに遮った、「御用以外の話は断わります」

そしてゆっくりと歩きだした。

木戸と反対のほうへゆくその道は、岩をめぐって段さがりに左へくだり、やがて流人村の上部へと出る。まえの日に、隼人はいちど案内されて来たから、迷うことはないと思ったが、或る曲り角のところで、うしろから「その道は違います」と呼びかけられた。振返ってみると岡村七郎兵衛で、彼は大股に近よって来た。

「闇夜のつぶて、ゆだん大敵」岡村はとぼけた笑顔でこう云った、「外出するときには供を伴れないといけませんね、山は危険です、いつどこからなにが出て来るかわかりませんよ」

「悪七兵衛などといわれたくせに」と隼人が云った、「案外おまえも苦労性なんだな」

隼人の眼はまた、ふた親のない乳児を見るような、温かくやさしい色を湛えた。

「あの綽名を御存じなんですか」

「おまえはおれの教え子だぞ」

「年は三つしか違いませんよ」

「腕だってそう違いはなかったさ」と隼人は云った、「流人村へゆくんだが」

「こっちです」と岡村が手を振った。

藩校の道場で、隼人は岡村に稽古をつけた。