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なつむしあんどん
夏虫行燈
吉川 英治
「婦人倶楽部 別冊付録」大日本雄弁会講談社、1938(昭和13)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,200 字 · 37 页
甚三郎の声である。
数日、陽の目を見ず、ここに坐ったきりなので、色はよけいに白く見え、心もち憔忰して、日頃の美貌が、よけい凄愴に冴えて見えた。
『もはや、時刻でござりますか』
と、与えられてある一枚の畳のうえから云った。
『いや――時刻はまだ――半刻の余もござるが、介錯人の事でござる』
『寔にお手数で……』
『番衆の内より、高安平四郎を選びました故、左様御承知ねがいたい』
『えっ』
甚三郎は、髪の毛まで顫かせて、
『平四郎が、私の介錯人ですとな?』
『お望み人もあろうが、勝手はゆるされませぬぞ』
『はっ……。だが、お訊ねいたしとうござる』
『何か』
『それは、平四郎から申し出たことでございまするか、それとも又』
『いやいや、然るべき者がないので、立会人の吾々から頼んだことじゃ』
些か、心を安らいだように、甚三郎はがっくりと首を垂れ、
『……あ、左様でござりますか』
『まだ、時刻もある故、その間に、お書遺しておく事でもあれば、それへ料紙硯を上げてあるから、何なりとも』
『御好意辱けない。それぞれへ、先程から一筆ずついたして置きました』
『お、左様か。――では』
と、与四郎兵衛が引き退がろうとすると――