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なつむしあんどん
夏虫行燈
吉川 英治
「婦人倶楽部 別冊付録」大日本雄弁会講談社、1938(昭和13)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,200 字 · 37 页
と、身をひらいた。
刃のような彼の平掌が、彼女の手元を強くはたいた。
懐剣は、草むらへ飛び、彼女の体は、平四郎に手頸をつかまれて、前へ泳ぎかけた。
『其女の惚れた男とは、少し骨の筋がちがうぞ。――介錯人の使命をうけたのを幸に、甚三郎の細首を落して無念をはらし、明け方迄には、他国へ逐電と考えていたが、もうこう口を割ったからには、お城へも戻れまい。女を討ったと云われては、末代まで、高安平四郎の恥になるから、生命だけは助けてくれる。はやく城内へ戻って、好きな甚三郎でも、助太刀に連れて来い。尋常の勝負なら、青沼の光沢寺で待っていてやる』
『……オオ。云やったな! ……。では慥に、紛失物の下手人は』
『もうここ迄云ったら、誰の仕業か、推量がつくだろう。――早く、御城内へ訴えに馳けて行け。九刻を過ぎると、間にあわぬぞ』
云いながら、平四郎は、彼女の体を、勢よく草の中へ突き放した。
――女の力! 及ばぬ腕! 口惜しさに、彼女はいちど、わっとその儘、泣き崩れたが、
『ま! まてッ――』
叫んで、再び起ちかけた時は、もう平四郎の姿は、草露の光る彼方へ、跳る魔形のように、馳け去っていた。