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なつむしあんどん
夏虫行燈
吉川 英治
「婦人倶楽部 別冊付録」大日本雄弁会講談社、1938(昭和13)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,200 字 · 37 页
(ちょうど、こんな、星の夜だった……)
と、彼は今も思い出される。
一夏、笛吹川の畔で、溺れかけている少女を救ったことがある。乳母らしい女のさけび声に、馳けつけてみると、それは御番城の兵学教頭、萩井十太夫の娘。
身を挺して、激流の中から彼が救い上げて来た娘は――その頃まだ軽かった。十四ぐらいな愛くるしい少女で、お小夜という名は、後に知ったのである。
(娘の恩人だ)
と、いうので、それ以来、平四郎は萩井家の家族から、特別親しく扱われた。
お小夜も、年経つほど、親しみを見せ、又、妙齢の美しさを増して行った。
――それはもう、七年前になる。
然し今では、萩井家の家族は何うか。
彼女が、自分を見る眼は何うか?
以前とは、まるで違う!
ひと頃は、彼女の聟に――と、堅い約束こそしないが、口に洩らさぬばかりに、萩井家の家族は皆、自分を遇したものだった。
自分も、いつか心に、彼女を未来の妻として、抱いていた。
その為に、勉強した。誰よりも励んだ。兵学も、剣道も、弓道も。――やがて萩井十太夫の後を継いでも、
(彼なら恥しくない)
と、云われる迄、自分を鍛えて置こうとしたのも、その希望があるからだった。