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よあけまえ

夜明け前

島崎 藤村

04 第二部下

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 105,172 字 · 206 页

青空文庫

」とおまんは客に言って、勝手の方から膳を運ぶお粂を顧みながら、「こんな山家で何もおかまいはできませんが、まあ、ごゆっくりなすってください。」

お粂が持って来て客と父との前に置いた膳の上には、季節がらの胡瓜もみ、青紫蘇、枝豆、それにきざみずるめなぞを酒のさかなに、猪口、割箸もそろった。おまんがそれを見て部屋から退くころには、正香はもうあぐらにやる。

「どれ、あの記念の扇子を暮田さんにお目にかけるか。」

と半蔵は言って、師岡正胤らと共に中津川の方で書いたものを正香の前にひろげて見せた。平田篤胤没後の門人らの思い思いに記しつけた述懐の歌がその扇子の両面にある。辛い、甘い、限り知られない味わいをふくみ持った世のありさまではあるぞとした意味のものもある。こうして互いにつつがなくめぐりあって見ると、八年は夢のような気がするとした意味のものもある。おくれまいと思ったことは昔であって、今は人のあとにも立ち得ないというような、そんな思いを寄せてあるのは師岡正胤だ。

「へえ、師岡がこんな歌を置いて行きましたかい。」

と言いながら、正香はその扇面に見入った。過ぐる文久三年、例の等持院にある足利将軍らの木像の首を抜き取って京都三条河原に晒し物にした血気さかんなころの正香の相手は、この正胤だ。