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わがあいするしじんのでんき

我が愛する詩人の伝記

室生 犀星

北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页

青空文庫

喋ると、その少しが肝じんの事がらに役立つことが多かった。ああいう温和しい人だから誰もいきなり堀の言葉をやっつけることが、堀の気質を知っているために彼をいやがらせることをしなかった。つまり堀という男はその気質を持って対手にいつも善意をあたえていたのだ、彼はいつも半分しか物を言わないでいて、あとの半分は対手に察して貰う行き方であった。彼の小説にもその描法が行き亙っているところでは、文章がことさらに光を返していた。

そういう堀は愛している人にも、つまり半分言ってあと半分を察してもらっていたのであろうか、愛しているのか、愛していないのか、もうろうたるものもあったとしたら、それはたえ子夫人によく聴いてみないと判らないことである。堀は誰にでもほれていた、誰にでもほれるということは男の素直さによるものであった。だが誰にでも口説いてみるということをしないほれ方は、男であるための美しい徳であった。つまり誰にもよくして上げたいことは、人のすき嫌いにどぎつい厭なものを心に持っていない証拠なのだ、あの人だから彼方向くというのではなく、皆さんに対って皆さんの方に向いてにこやかに話をするというふうであった。