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わがあいするしじんのでんき

我が愛する詩人の伝記

室生 犀星

北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页

青空文庫

髭をていねいに剃り上げ好い洋服を着てのして歩くより、仕事であたりを捌くよりわれわれの捌きようはなかった。子守や女中さんまで眼をつけているものは、その人がらにある仕事の澎湃氾濫の状況であった。つまり私が藤村の前で、煙草を喫みながら相対するということは私がやっと七、八篇の小説を書いているそのことだけで、タバコをノミながら生意気にも赧くならずに、今日はなかなかの盛会ですね、と、そう言えたものであった。田舎のぽっと出の私にはこの山嶽のごとき詩人小説家である島崎藤村は、あまりに大きすぎていた、そしてこのような大家と、ああそうですね、さあ、それもそうですねと堂々と応酬できることは、私にはゆめにも空想したことがなかった。つまりここでも、例の七、八篇の小説だか、ろくろ首だかわからない物を書いている、たったそれだけで宴会場を泳いで歩いていられたし、この大家の前にぬうと臆面もなく出られたのである。これは正宗白鳥や徳田秋声の場合もおなじであったが、藤村の場合はあまりに隔れたところに彼はいたし、幼少年者だった私の眼からは途方もない山嶽だったのだ。

吾胸の底のこゝには

吾胸の底のこゝには