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わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页
金沢の愉しい三日間は過ぎた。翌年か翌々年かに藤井はふたたび金沢の兵営に入隊、迢空は例の長い列車に乗り込んで金沢まで付添うて行った。わかばの兼六公園は美しかったが、こんどは本物の戦地行きに決まっていたので、迢空はぞっくり心の肉をくい取られ、前の年と同じ生温かい藤井の背広をつつみ込んだ風呂敷包を提げ、兵営を出て公園の坂を下りた。迢空はむなしい考えの中で藤井春洋を養子として、籍を入れ、愛情のうえに法律というものを取り入れることに、ふしぎな熱意をおぼえた。かれが詩の作為に古語をちりばめるくせが、この人事のうえにも現われて来たのだ。かれは法律に好意を感じたのはこの機会ばかりであった。
藤井春洋は昭和二十年三月、四十歳で硫黄島で戦死した。その前年、昭和十九年七月、春洋硫黄島着任直後、七月二十一日に迢空は藤井を養子として入籍したのである。十七年間にわたるいたいけな一文学博士折口信夫と、歌人藤井春洋の世にもまれな愛情生活がここで、おわりを告げた。能登の浜べに「折口春洋ならびにその父信夫の墓」と誌された二人の墓が相ならんで築かれ、「人も馬も道行きつかれ死にゝけり」