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おうぎの

扇野

山本 周五郎

「面白倶楽部」大日本雄辯會講談社、1954(昭和29)年5月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 33,727 字 · 67 页

青空文庫

ぜんたいがごつごつしているためだろう、あとでわかったのだが、若い女中たちは彼女のことを、蔭で「栄螺さん」と呼んでいた。栄螺さんはあいそがよく、窓や障子をあけ放しながら、港の向うに見える島々の名や、黒ぐろと樹の茂った丘が御城であることなどを教えてくれた。

「誰かお馴染さんを呼びましょうか」

注文を聞いてから栄螺さんが云った。栄三郎は馴染はないが二三人呼んでくれと答え、すすめられるままに風呂へはいった。

夕凪というのだろう、風が死んだようにおちて、風呂できれいにながした汗が、座敷へ戻るとすぐにまた滲み出てきた。酒肴を運んで来たのは、軒行燈に火を入れていた若い女中であった。眼にちょっと険はあるけれども、利巧ですばしっこそうな、愛嬌のある顔だちで、名を訊くと、喉で(うがいでもするように)えへえへと笑ってから、芝居の壺坂霊験記に出てくるのと同じ名前だと答えた。つまりおさとというのであった。

盃で三つばかり飲んだとき、年増の芸妓が二人来た。ようやく日が昏れて、座敷にも明るく燭台が並び、芸妓の一人が三味線を持つと、一人が鄙びた音頭などをうたいだした。栄三郎はすっかり気が沈んでしまった、妓の唄はもの悲しく、その文句は(港町らしく)流別を嘆いたものが多かった。