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にほんせいしんしけんきゅう

日本精神史研究

和辻 哲郎

推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页

青空文庫

たに相違ない。

が、我々はもう一つの場合を考えることができる。光源氏についての(あるいは少なくとも「源氏」についての)物語が、すでに盛んに行なわれていて、紫式部はただこの有名な題材を使ったに過ぎぬと見るのである。臣下の列に下る皇子がすべて源氏であったとすれば、源氏は常に恋の英雄たるべき地位にいる人であって、このころにはすでに二百年の伝統を負っていた。かの恋の英雄として有名な業平のごときも二世の源氏(皇孫にして臣下の列に下った人)である。ここに「源氏」の重ね写真がいくつかの伝説的な姿として結晶することはきわめて自然だと言われなくてはならぬ。『河海抄』に、「いにしへ源氏といふ物語数多ある中に光源氏物語は紫式部が作といふ」という説を引用しているが、これはいきなり斥くべき説ではなかろうと思う。もししかりとすれば紫式部は周知の題材の上に彼女自身の芸術を刻み出したのである。

この二つの場合は同時に許されるかも知れない。すなわち周知の題材の上にまず短い『源氏物語』が作られ、それに後からさまざまの部分が付加せられたと見るのである。が、いずれであるにしても、とにかく現存の『源氏物語』