轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

にほんせいしんしけんきゅう

日本精神史研究

和辻 哲郎

推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页

青空文庫

我々にとって重要なのはすでに与えられている良薬ではなくしてその飲み方である。しかるに在来の師は、自らもこの飲み方を会得していなかった。だから我々はこれを会得した人を、すなわち自らの人格に真理の理解を具現した人を、師としなくてはならない(学道用心集第五)。彼によればこの正師は仏祖直伝の真理を人格的に把握した宋土の諸禅師である。ひいては彼自身である。

導師がかくのごとき重大な意義を持つとすれば、師についた修行者は自己を空しゅうして師に随わなくてはならぬ。これについても道元はいう、――世間には「師の言葉が自分の心に合わない」というものがある。これは誤った考えである。師の言葉に現われた聖教の道理が自分の心に合わないのならば、彼は一向の凡愚に過ぎぬ。師自身の言葉が自分の心に合わないのならば、何ゆえ初めからこの人を師としたか。また日ごろの自分の意見をもって批評するのならば、それは無始以来の妄念に執するのである。師についた以上は、心に合う合わぬを問わず、一切の我見を捨てて、師に服しなくてはならぬ。かつて自分の友人に我見を執して知識者を訪うものがあった。我見に違うものはすべて拒け、ただ我見に合うもののみを取ったが、結局仏の真理を理解することはできなかった。