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にほんせいしんしけんきゅう

日本精神史研究

和辻 哲郎

推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页

青空文庫

を目的とした。もとより自己は真理の王国において救われる。しかし救われんがために真理を獲ようとするのではない。真理の前には自己は無である。真理を体現した自己が尊いのではなく、自己に体現せられた真理が尊いのである。真理への修行はあくまでも真理それ自身のためでなくてはならぬ。

「仏法のための仏法修行。」この覚悟が日本人たる道元において顕揚せられたことは、我々の驚嘆に価する。真理それ自身のために真理を求めることは、必ずしもギリシア文化のみの特性ではなかった。真理において最高の価値を認めるものは、――すなわちここに究竟の目的を認めるものは、必ずこの境地に達しなくてはならない。そうして道元はそこに達したのである。彼にとって仏法の修行は他のある物を得んがための手段ではなかった。「仏道に入り仏法のために諸事を行じて、代りに所得あらんと思ふべからず。」皆無所得! 皆無所得! これ彼の言説を貫通して響く力強い主導音である。仏法は人生のためのものでない。人生が仏法のためのものである。仏法は国家のためのものでない。国家は仏法のためにあるのである。

この覚悟は、世上的価値を倒換して永遠の真理に唯一最高の価値を認めるとき、単純明白に現われてくる。