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にほんせいしんしけんきゅう
日本精神史研究
和辻 哲郎
推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页
これは明らかに「美」の力を無視するものである。そうしてこの無視は、官能的なる一切のものに対する不信の表白である。宗教心の緊張に際してはこの傾向はいずれの国いずれの時にも現われる。パウロはギリシアの彫刻家と戦った。サヴォナロラはメディチの勢力と戦った。芸術の歓びが官能の歓びを伴なうとすれば、芸術がこの種の信仰に対して「あれかこれか」の秤にかかるのは当然であろう。
道元が斥けるのは単に仏教美術のみではない。「文筆詩歌」等もまた「詮なき事なれば捨つべき」ものである。法の悟りを得んとするものに美言佳句が何の役に立とう。美言佳句に興ずるごときものは「ただ言語ばかりを翫んで理を得べからず」。自らの内生を表現する場合にも、重大なのはその内生であって、言語文章ではない。「近代の禅僧、頌を作り法語を書かんがために文筆等をこのむ。是れ便ち非なり。頌につくらずとも心に思はんことを書出し、文筆とゝのはずとも法門をかくべきなり。」「思ふまゝの理を顆々と書きたらんは、後来も文はわろしと思ふとも、理だにも聞えたらば、道のためには大切なり」(同上第二)。
ここにも道元は、「法門」