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にほんせいしんしけんきゅう

日本精神史研究

和辻 哲郎

推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页

青空文庫

と考えるが、これは非常な謬見である。「時節」は悉有であって、時を超越している。およそ時節でない時処はどこにも存しない。「時節若至といふは、すでに時節至れり、なにの疑著すべきところかあらんとなり。」「およそ時節の若至せざる時節いまだあらず、仏性の現前せざる仏性あらざるなり。」

かくて道元は諸法実相の思想を徹底させる。「この山河大地みな仏性海なり。」山河大地はそのままに「仏性海のかたち」なのである。山河を見るはすなわち仏性を見るのであり、仏性を見るとは驢馬の顋、馬の口を見ることである。ここに現象と本体との区別は全然撥無される。世俗諦(シナにおいてはこの語は自然的態度における真理の義に解された)と、勝義諦あるいは第一義諦との区別もない。有るものはただ仏性のみである。否、「有るものは」と言うこともできない。ただ「仏性」である。ただ「悉有」である。

しかしながら、我々はこれを一つの認識の論と目すべきではない。悉有仏性は、道元によれば、仏教の中心の真理である。釈迦の説いた真理であるばかりでなく、「一切諸仏、一切祖師の、頂※眼睛なり。参学しきたること、すでに二千一百九十年、正嫡わづかに五十代。