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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
そして今まで見ることの出来なかったような隠れた物の奥を見せてくれるとは。
暗いところにある愛のたましいはしきりに物を探しはじめた。彼は自分の身の周囲にある年長の友達や先輩ばかりでなく、ずっと遠い昔に歌集や随筆を遺して行った徳の高い僧侶の生涯なぞを考え、誰でも一度は通過さねば成らないような女性に対する情熱をそれらの人達の若い時に結び着けて想像し、あの文覚上人のような男性的な性格の人の胸に懸けられたという婦人の画像を想像し、それからまた閑寂を一生の友としたあの芭蕉のような詩人の書き遺したものにも隠れた情熱の香気のあることを想像し、どうかするとその想像を香油で基督の足を洗ったという新約全書の中の婦人にまで持って行った。
岡見を見ようとして捨吉は牛込の下宿から出掛けて行った。岡見から寄してくれた手紙の返事を書くかわりに、直接に訪ねて行こうと思ったので。この訪問は捨吉に特別な心持を有たせた。岡見の訪ねにくいのは、あの手紙の返事の書きにくいのと変らなかった。
黒い土蔵造りの問屋の並んだ日本橋伝馬町辺の町中に、岡見のような人の生れた家を探すことは捨吉にめずらしく思われた。