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じろうものがたり
次郎物語
下村 湖人
02 第二部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 146,773 字 · 294 页
次郎の心は、もう五六歳頃の昔に飛んでいた。お鶴の頬ぺたのお玉杓子をつねった時のことが、つい昨日のことのようにはっきり思い出された。――お鶴の様子はすっかり変っている。今ではもう自分の姉さんとしか思えないほどだ。だが、お玉杓子だけは、相変らず、昔のままにくっつけている。お鶴にとっては、むろんいやなことにちがいない。しかし、思い出というものは、何と甘い、そして美しいものだろう。――
次郎は、つい、うっとりとなって立っていた。と、だしぬけに、うしろの方から、いやに落ちついた声がきこえた。
「おい……本田。」
次郎は、ぎくっとしてふり向いた。すると、ちょうど銃器庫の角のところに、一人の上級生が、巻煙草を吸いながら、にやにや笑って立っていた。
それは「三つボタン」だった。――尤も、この時は、彼の制服のボタンは四つにふえていたが。――
「貴様、そこで何をしていたんだ。」
三つボタンは、肩をゆすぶりながら、次郎に近づいて来た。
次郎はきちんとお辞儀だけをした。そして、そのまま默って、睨むように相手の顔を見つめた。
「ふん、知っているぞ。」
三つボタンは、煙草の吸殻を捨てて、それを靴でふみにじりながら、両腕をくんだ。