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なおこ

菜穂子

堀 辰雄

楡の家 第一部「物語の女」山本書店、1934(昭和9)年11月<br> 楡の家 第二部「文学界」1941(昭和16)年9月号<br> 菜穂子「中央公論」1941(昭和16)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 88,758 字 · 173 页

青空文庫

が、その翌年の秋、菜穂子の結婚から深い心の傷手を負うたように見えた彼女の母の、三村夫人が突然狭心症で亡くなってしまうと、急に菜穂子は自分の結婚生活がこれまでのような落ち著きを失い出したのを感じた。静かに、今のままのよそよそしい生活に堪えていようという気力がなくなったのではなく、そのように自己を佯ってまで、それに堪えている理由が少しも無くなってしまったように思えたのだ。

菜穂子は、それでも最初のうちは、何かを漸っと堪えるような様子をしながらも、いままでどおり何んの事もなさそうに暮らしていた。夫の圭介は、相変らず、晩飯後も茶の間を離れず、この頃は大抵母とばかり暮し向きの話などをしながら、何時間も過していた。そしていつも話の圏外に置きざりにされている菜穂子には殆ど無頓著そうに見えたが、圭介の母は女だけに、そう云う菜穂子の落ち著かない様子に何時までも気づかないでいるような事はなかった。彼女の娵がいまのままの生活に何か不満そうにし出している事が、(彼女にはなぜか分からなかったが)しまいには自分たちの一家の空気をも重苦しいものにさせかねない事を何よりも怖れ出していた。